ARICAは、これまでの上演作品において、労働や居住など人の社会的な条件にまつわる身振りと場の関係を問い続けてきた。上演を繰り返すなかで、舞台上に現前する身体は、場への拘束と、場からの解放の二つのベクトルを持つことが分かってきた。
今回の作品では、こうした場に対する身体の求心的な、あるいは離反的な運動を、「恋愛」の身振りになぞらえたいと考えている。さらに、この二つの運動の効果(effect)を具現化するために、「鏡」と「機械」という参照項を導入しておきたい。
他者への切実な接近や働きかけは、結局のところ自己像の彫琢を意味するに過ぎなかったり、あるいはまた、いつしか機械を思うがままに操作するかのごとき振る舞いに似てくることもしばしばである。にもかかわらず、そうした働きには真率な感情が流れてもいる。こうした事態を「恋愛」をめぐる鏡と機械の二重のコンプレックス、とかりそめに捉えてみること。すると、それはいまに始まったことではなく、つねにすでに古来、神話と物語に描かれてきたものともいえる。しかし同時に、今日における恋愛の身体と語りはやはり、従来と異なる未知を抱え込んでもいる。
本作品では、不毛なまでに単純化・断片化されつつなお、他者を捜し求める身体の蠢きと、剥き出しに露呈される欲望の声の連鎖の中から、恋愛の形式の不易と流行、原形と変化形を見極めつつ、狭隘な自己愛を超えて他者へと働きかけることの困難な方策を探り当てたい。
書き割りのように室内と屋外がひと続きになったバルコニー。そのような設えられた中間的な場所を中心として、同じものが二組づつ存在する鏡像的な風景が広がっている。その反復強迫的な風景は、どこか不穏で倒錯した印象を与えている。
やがてそこに一人の女が現れる。女はあらかじめ手足と口を失っており、それを動かし、外に出すためには、他人の手足と口を借りてこなければならない。アクションと発声のたびごとに、あたかもその都度接ぎ木をし、即席の移植手術をするかのようにして他人の身体と声を借り受けることで、ようやく自身の感情を切れ切れに語ることが可能となる。この空間では身体と声は取り替えのきく部品であることを強いられている。
さらに、ちょうど空間が鏡像的であるのと同様に、女もまた、同じ動作を反復する。この場所にはただ一人しか存在していないため、同じ女がもう一人、ずれて出現しているかのよう。空間的にではなく時間的な反復なのだが、どこかナルシスティックな痕跡を強く感じさせてしまう。
全編を通じて、女の身振りと声音は不毛な恋愛と性行為を機械的・断片的に模倣することになるが、ほとんど応答のあてのない孤独な営みに見える。だがそれは、死ぬまで決して終わることのない営みでもあることが暗示されていくのである。
注 本稿は、シアター・カンパニーARICAが2011年度中に公演を予定している新作『恋は闇/LOVE IS BLIND』の当初の草案を綴ったものであり、向後さまざまな改変がなされる。

